大阪大学院を中退して本当の自由を手に入れた 匠 誕生物語

初めまして匠です。

このページでは

・高校時代に全国模試で6位を取った栄光と挫折

・大阪大学に入学し、目標を見失った自分に起こった数々の悲劇とは

・この考えだと危険。サークル、飲み会、バーベキュー、オールナイト、合コン、ナンパなど遊び三昧の大学時代から悟ってしまったものとは。

・メガバンク、公務員、医者、薬剤師、大手製薬会社や大手の食品会社などに内定した周りの友人に引き止められながら、そしてエリート街道を全て捨ててまで起業を選んだ理由とは。

・同大学院に進学後起業し、周りのエリートサラリーマンや教授などの年収をあっという間に抜いてしまった話。

・今の日本人に必要な大切な5つの要素とは?

 

といった話をしていこうと思います。

 

私は大学院生時代に起業し、3年目です。現在IT事業を中心に様々な事業をしております。日本に会社があるだけでなく海外でも法人を設立し海外ベースでも活動しています。

 

そして起業してから1億円以上の利益を生んできました。

 

今では何もしなくても、いつ起きても問題ないという状態ですが、

元々起業するぞ!というタイプではありませんでした。

 

最初から稼ぐ能力があったとかパソコンのスキルがあったというわけではありませんでしたし、

教えてくれる方もいなかったので自分で実践し積み上げていったからこそ達成できたものです。

 

私は元々夢も希望もない典型的な今の若者でした。

私は小学生の頃から親が厳しかったというのもあり、

勉強させられたりし、

子供ながらものすごい我慢を強いられていたと思います。

 

カードゲームやテレビゲームなど遊びはしていたことはしていたのですが、

 

当時考えると本当に楽しんでいたとは思えません。

 

そして高校は進学校に入学し、

 

1年生の時に全国模試で6位をとるなどし、

 

医者にもなれる東大も行けると周囲からの期待は上がりました。

 

特に数学と英語が得意で1年生の時は勉強が楽しく、

 

もっと頑張ろうとなっていました。

勉強すれば勉強するほど、成績が伸びるこんなに楽しいことはないと。

その後理系コースに進み、

 

順調に成績をキープしていたのですが、

 

2年生の秋ころからからなんのために勉強をしているのだろうかという気持ちになり、

 

次第に失速。

 

大阪大学の試験に受かり入学し、

周りはよくやったなど喜んでいたのですが、

大して嬉しさもありませんでした。

 

嬉しさというよりも私は大学に入るということが目的になっていたため、

 

東大であろうと阪大であろうとどこでもよかったのです。

 

自己の目的をどこにフォーカスするということが成功やモチベーションにおいて非常に重要ということです。

 

大阪大学で見た秀才とその中から離れていく自分。

大阪大学には西日本から秀才が集まってくるため、

ガリ勉タイプの子や頭の回転が早いなという子がたくさんいました。

 

私も1・2回生の頃は周りにも影響され、やる気がまだ高かったため

 

単位なども2回生でだいたい取り終わっていました。(学年ごとに必修科目があるのでそれらはまだでしたが。)

 

一回生の間は家庭教師、

コンビニのバイトやカラオケのバイト、

バーガーショップでのバイトなど積極的に色々やってみました。

 

しかし、大学卒業するためにも単位が必要だなということで取っていたのですが、

前の大学受験と同じでだいたい単位を取り終わってしまった時に

 

またしてもやる気を無くしてしまっていたのです。

 

それは前と同じく、目標を失ってしまったからです。

 

サークルなどは積極的に参加していたのですが、

 

単位を順調に取ったあたりからやる気を無くしてしまい、

 

一時期部屋からもほぼ出ない引きこもり生活をしていました。

 

その間にアニメやゲームや漫画など今までできていなかった事を一気に吐き出すかのようにひたすらそればかりをしていたのです。

 

3ヶ月くらいは友達などにも会わず、

 

バイトは家庭教師以外はやめていたのでその仕事のある日と単位も必修科目以外はほぼ行かないという生活を送っていました。

 

流石にそろそろ出た方がいいと思い、今度は外に刺激を求め始めました。

 

サークルなどにも入っていたので、バイトや飲み会や合コンなどしきりに顔を出すようになりました。

 

飲み会や合コンなどを企画するビジネスをしている先輩がいたため、

(個人レベルでのイベント企画会社のようなもの)

 

頻度でいうと3・4日に一回ほど行っていました。

 

この時期はとにかく梅田や難波などほぼ毎日のように行き、

2年ほど続けていたので合計で200回以上の合コンや飲み会に参加したと思います。

 

他の大学の人や社会人まで多種多様な人と出会い、

 

生活が充実しているような錯覚が続いており、

 

そしてその生活が続くうちにだんだん大学の人たちとは話が会わなくなり、

相手側もあいつは遊び呆けているとお互い話さなくなっていきました。

 

私は当時この生き方が自由なんだ!やっと俺は自由な生活になれたんだ!

 

あいつらと同じじゃないんだ

 

と自分に言い聞かせていました。

 

本当の自由ってこういうことではないんだということは知らずに。。

 

自由と思われた生活の終焉。そしてブラックバイトの始まり

この生活を捨てまいと続けていくうちに家庭教師で貯めた貯金もだんだんと減っていきました。

家庭教師で稼ぐといってもそんなに何時間も入れられないのと募集には限界があったため、他にも何か働こうと思い、ビュッフェレストランの面接に受かり、そちらで働くことに、

そこが地獄の始まりでした。

オープニングスタッフとして入ったのですが、

 

店長など他店で経験はあるとしても、

 

まだ管理体制が整っていなかったため、まとまりがなくかなり荒れ放題でした。笑

 

私は一度バイトでレストランで働いていた経験もあり、食事出しや皿洗いなど複数担当を任されていました。

 

しかし、ビュッフェレストランだったので、

 

恰幅のいいお客さんが集団できたりすると一気に料理がなくなってキッチンが焦り始めて余計に遅くなり、

お客さんが

「早く料理補充しろよ」

「お皿がないんだけど」

「レジ早くして」

「早く案内して」

「コップが濡れてて気持ち悪いんだけど」

などパニック状態でした。

 

そして営業が終わった11時頃には店中のお皿が使われているのではないかというくらいのおびただしい数の食器たち。

 

すると最初らへんは店の店長以外にマネージャーが来ていて、

 

こいつがまた曲者だったのでした。

 

その時女性スタッフと男性スタッフが半数くらいいたのですが、

マネージャーが

「これくらい男性陣だけでできるよね。

女性スタッフはみんな帰っていいよ」

 

と言い始めたのです。

こいつ正気か!

 

と男性陣は思っていたのですが、

 

女性スタッフは「ありがとうございます〜!」と礼をしながら帰っていき、

 

カッコをつけながら「お疲れ様またよろしくね!」と見送っていったのです。

 

そして男性陣はこれ終わるのかという量のテーブルに散らかった半端ない数のバッシングと残った皿洗いが始まりました。

 

女性スタッフたちを見送って戻ってきたマネージャーが

 

「さっさと動け!早く終わらせろ。そしてタイムカードは全員切れ!」と

 

タバコを吸いながら自分は見ているだけでした。

 

今思えば先にタイムカードを切るのはおかしいことなのですが、

 

マネージャーの威圧でみんなタイムカードを切ってしまい、

 

そのまま毎回タイムカードを切るのが当たり前になってしまっていまい誰も疑うことはありませんでした。

 

そして男性スタッフが皿洗いや掃除など頑張ってなんとか終えたのが、なんと夜中の3時。

 

ヘトヘトになって帰りました。

 

そしてしばらくはオープニングで忙しいから毎日入ってねということでこの状態が1ヶ月ほど続きました。

 

私は週5日ほど入っていたのですが、

 

毎回女性スタッフに気を遣って(?)帰らすマネージャーには呆れていました。

 

そしてそこで働く店長も皿洗いなどの作業が終わってからデスクワークもあるからといって仕事場のデスクで寝てそのまま家に帰らず出勤ということを繰り返していました。(朝の10時30分からオープンするため)

 

私はこれを見てると将来就職が怖いなという印象しかありませんでした。

 

店長と料理長の給料を見せてもらったのですが、手取りで20万行くか行かないくらいでした。

 

そして深夜までの仕事。

絶望以外にありませんでした。

 

大学4回生は基礎工学部ということもあり研究と大学院の試験勉強とこのビュッフェレストランのバイトで遊んでいる時間が減っていきました。

 

こうして就職したら自由時間が減っていくんだろうなと薄々感じていたのですが、まだ就職は先だと逃げるように大学院の道へと進んでいきました。

 

パチンコや麻雀、アルコールなどにハマる依存症時代

新たなビュッフェのバイトを始めて、深夜遅くまでやることもあり、スタッフ同士の結束力が異常に固かったためよく遊びに行くことが多くなりました。

仕事終わりの居酒屋などでマネージャーの愚痴や恋愛の話やお酒も入っているということでめちゃくちゃ盛り上がります。

おそらくサラリーマンになってもこんな感じなんだろうなと思っていたのですが、何故かその集まりの中にいるのが心地よかったのです。

そしてその周りの友人たちはタバコやパチンコ麻雀など何でもやり、

タバコは何故か全く興味がなかったので何本か吸っても

「やっぱ好きじゃねえわ」

と全く好きになれませんでした。

麻雀はたまにバイト仲間や大学仲間としていてこっちは楽しいという印象が強かったですね。

あるとき友人が「パチンコめちゃくちゃ楽しいし、1ヵ月のバイト代くらい一瞬で稼げるからやばいよ。」

と誘われて試しにパチンコ屋に一緒に行き、ゆうちょ銀行のATMから下ろした1万円札を握りしめ、恐る恐る入店してみました。

入店してみると鼓膜が破れるんじゃないかというくらいのわけわからんくらい大きい騒音、そしてタバコの匂い。こんなところでパチンコなんてできる環境じゃないと思いつつもせっかく誘われたのでいってみることに。

花の慶次という台に座ってみて

「このハンドルを握ってヘソに入れるとスロット回るから」

と説明を受けてすることに。

すると初めて20分くらい

「前田慶次じゃんめちゃくちゃ激アツだよ」

と言われ訳も分からないまま大当たりしたらしく、約50分くらいで

1万円が何と2万円になって戻ってきたのです。

その時に私はパチンコって稼げるんだという感覚を持ってしまったのです。

それが依存していき破滅するとは知らずに。

最初は友達の誘いでたまにパチンコ屋にいっていたのですが、徐々にエスカレートしていき2ヵ月に一回、週に一回、三日に一回とどんどんペースが短くなっていったのです。

最初は勝つ時も多くプラスで100万円くらいになっていてバイトするよりもこっちでいいんじゃないという考えになるほどでした。

その時には色々な機種を打つようになっていて、エヴァンゲリオンや北斗の拳、コードギアスなど若い世代でも知っているパチンコ台なども詳しくなってしまいました。

しかし徐々にその勝っていたお金は生活費や旅行や飲み会代の足しにも使っていたのでなくなっていきました。

そしてついに私は、禁断のお金に手を出してしまうのです。

入学時に入った奨学金を生活費や病気や事故が起きた時の大事のため大事に取っていたのですが、また勝って取り返せばいいだろということで、奨学金を入れている口座からおろすことになってしまったのです。

今考えても恐ろしいですが、奨学金って卒業後に返すお金で、優待生でもないので認識としては借金なのですが、まあ0にならなければ大丈夫だろというくらいの気持ちで使っていました。

現在では奨学金破産とかも耳にしますもんね。。

話を戻しまして、

奨学金口座から使うようになっていた私は一人で朝からパチンコ屋の前に番号札を取って、おっさんに混じって並び、目当ての台を取りに行きました。

しかもアルコールにも相当はまっていたので、朝から缶ビール飲んでそれから打ちにいってました。

やはり最初は好調だったものの段々と掛け額の大きい4円パチンコをするようになってからは負けが続くようになり、バイトをしてもバイト代がなくなっていくようになり、これはお金は稼げない。

と心のどこかでわかっていたのですが、あの勝った時の瞬間が快楽で忘れられず罪悪感を感じつつも通い続けたのです。

しかし、快楽だけを頼りに感情だけで打っていてもうまくいくはずなく、奨学金も無くなり、パチンコをやめることにしました。

今では全く興味はなくなってしまったのですが、

やめたと思ったのにたまにフラッと寄りたくなる。でも行ってはいけない。。そんな感情との葛藤が半年以上は続きました。

めちゃくちゃ最初はやめるのがしんどかったですね。

しかもパチンコはギャンブルではなく娯楽であると友達に行っておりました。完全にギャンブル依存症だったなあと今では強く思います。

パチンコをやめた後は卒論などの準備そして阪大の大学院に合格していたのでまた単位を取る必要があったので授業と研究で一年はあっという間にすぎていきました。

 

迫る就活!逃げる自分!そしてまさかの選択!

そして大学院の1年生の冬、3月1日から就活解禁し合同説明会などが始まるので、周りは就活モード

 

「お前どこの会社にいく?」

「ここの会社はめっちゃホワイトらしいよ。」

「先輩に福利厚生などは絶対に聞いておけって言われたよ。」

親からも「どこにいく予定なの?」

と聞かれました。

自分はついに就活が始まるのか。。。

バイトの店長や先輩の話を聞いてきてたので就職は絶対にいやだ。

でも公務員にもなりたくないし、民間も残業ひどいっていうし。。

何となく先延ばしにしていた就活がついにここまできていました。

私はどうしても就活はしたくなかったのですが、いまだにやりたいことが見つかりませんでした。

そうです、ここまで来て自分のやりたいことが分からなかったのです。

いつの間にか自分の道も決めれないほどになっていたのです。

それは今を生きることにばかりフォーカスしていたのです。

そして、仕方なしに流れのまま就活をし製薬会社など何社か内定をとったのですが、このままではいけないと思い、公認会計士の勉強を始めました。

しかし、この選択はただただ就職から逃げるだけの悪あがきにすぎませんでした。

公認会計士は5月に1次試験8月に2次試験があり、1回目の試験は明らかに間に合いません。

しかも今のように稼ぐ思考がなかったので

公認会計士といっても結局はどこかの監査法人に研修して就職する必要があります。

はばかる親やバカにする周りの友人、教授たちそして月600万円稼ぐIT起業家の出会い

そして12月頃まで会計士の勉強を続けていて周りは修士論文を本格的に始めようかというところでした。

私は運命的な出会いを果たすことになるのでした。

その時にたまたま同じ大学で学生時代に起業し、ネットで月に600万円ほど稼いでいる先輩がいるということを知りました。

私も誰もが感じるように最初はネットだけで

年収でもなく月収600万円稼ぐなんてめちゃくちゃ怪しい。

なんて思っていましたが、ブログなどを読んでみると割とまともなことを言ってるようでした。

他にも1億稼いでもうすでに自由な生活を送っていたり、

ほぼ働かず自動で月に1000万円を稼いだり、

もう私には到底理解できる世界ではありませんでした。

しかし、私は自分1人で、しかもネットだけで稼げる方法があって、

「こんな人が世の中にはいるんだ!」

彼らのようになれたらなと思い、

就職、大阪大学院の修士卒業、公認会計士の試験(その後願書は出して数万円払っていましたが受けに行かず。)

これら全てを捨てました。

エリートと呼ばれる学歴も年収600万円以上は堅いと言われるMRと公認会計士(受かってはないけど)も何もかも。

そして就職の内定辞退や研究を急にやめるので引き継ぎなどで

周りの先輩や友達や教授に引き止められました。

 

教授「君の人生ということは分かるんだけど就職も決まっていたしここまでやってきて研究をやめるのはもったいないよ」

メガバンク内定の友人や国家公務員内定の友人、医者になる友人などからは半ば呆れたような表情で

友人「何でいまさら?お前頭おかしいよ?やめるのもったいなさすぎる。絶対そのまま就職した方がいいって」

「こいつ正気じゃないよ。バカすぎるw」

親「ここまで学費を出したのは誰だと思ってるんだ。ふざけるな!絶対認めない!いますぐ実家に戻って詳しく話を聞かせろ!」

周りは断固否定。友達のエリートたちもここまで来て就職を放棄し、バカにされる始末。そりゃこの段階でやめる人の価値観なんて分かるはずもありません。

しかしどうしてもやりたかった私はそんな周りの反対を押しのけてネットビジネスの世界、起業の世界についてひたすら3ヶ月ほど情報収集し勉強しまくりました。

このときは高校時代のセンター試験一ヶ月前の気迫で勉強し、かなりの知識を吸収していきました。

彼らのようになりたいな!

と今あるだけのお金を使ってビジネスを学び続けていました。

3ヵ月で月収100万円へそして勢い止まらずその半年後には法人設立。

そしていくつか情報商材も買い参考にしながらアフィリエイトという手法を実践していくこと約3ヶ月で月収100万円を達成してしまいました。

こんなことがあるのかと目にも疑う数字でした。

就職するのが当たり前で、雇用主からお金をもらうものと思っていた私が、自分の手で50代の部長クラスにならないと稼げないような金額を一瞬で稼いでしまったのです。

ネットだけで外にも出ずに、上司がいたり、先輩もいたりという人間関係もなしのたった一人でこんな金額を稼ぐことが出来るのかと驚きを隠せなかったのです。

5月下旬には急いで個人事業の届け出を出しに行きました。

その月だけ100万円いったわけではなく、その後も勢い止まらず利益が出続けたため

その半年後には節税のために法人化することに。

そのころには旅行などバンバン行っていましたが、利益が300万円を超えていました。税理士に法人設立を任せて海外に行ってる最中にメールで法人設立完了しましたという連絡をもらうという状況でした。

なんと一年前はふらふら自分の道も決めていなかった私が社長になったのです。

会社の社長と聞くとものすごくすごい人のような感じですが、こんなにもあっさりと社長になれてしまうのです。

この時に今までの常識、価値観が全てぶっ壊れてしまいました。

今まで生きてきた世界の常識と全然違う。

このネットビジネスの世界には20代や30代で月に数百万クラスで稼ぐ人がゴロゴロいて、平日に温泉行ったり旅行行ったり漫画や映画見ながら好きなように過ごしていて、俺をバカにしていた周りの今までのエリートの友達などは新卒で月収で30万いくかいかないかで、しかも会社の近くでまるで牢獄のような狭い部屋の寮で暮らし、入社したての頃は「この会社マジ楽だし最高!」と言っていたのですが、

次第に連絡が取れなくなっていき、土日も出勤させられたり残業が当たり前で、休みの日以外は連絡取れないわとヘトヘトになっていました。自由とは程遠い状態で、会社の近くに住み、休日も会社の上司に急に呼ばれたり、仕事に出たりと完全に会社に縛られた状態となっていました。

自分もあのまま諦めて親の言うように就職をしていたら同じようになっていたと思うと恐ろしくて仕方ありません。

自分が社会の流れに反して自由を求めたからこそ得られた価値観で、あそこで就職してしまっていたら気づかなかったと思います。

ビジネスが楽しい時はガンガン仕事して、

アフィリエイト、

ネットコンサル、

ネット通販、

エステやマッサージ、飲食店、美容院などのオフラインの事業のコンサルティング

などを行い、

休みたい時は

読書をしたり、

ドラマを見たり

寝たいだけ寝たり

思い立った時に沖縄やハワイに行ったり

海外で1ヶ月以上滞在してみたり

と好きなように過ごせるようになりました。

場所にとらわれず海外拠点でも仕事を。そして時間・お金・精神・場所・肉体の真の自由へ。

余った時間で海外旅行もよく行っていたので、実際に海外でも住んだりビジネスをしたいなと思い、海外に事務所を借り、海外に会社も設立し、現在はグローバルに生活しています。

このようにできるのもまずはお金を稼ぎ、場所に縛られずどこでも生活する力を手に入れることにフォーカスしました。

単純にお金を稼ぐだけで忙しくて、お金を使う時間もないというのであれば私は意味がないと思うので、さらに仕組みや資産となるものを作ることが大事だと思います。

直属の上司が狂った人だった場合、逆らえないし理不尽に怒られたりとそれで会社に行くのが嫌になったりしたら、精神的にもよくありません。

一人で稼ぐ力がついたため上司や後輩など上下関係がなくなったため、会いたい人とだけ会えるし、取引したいクライアントだけ仕事ができるので人間関係の悩みもなくなり、精神的にも楽になります。

最近はSkypeなどでどの場所にいてもビデオ通話や電話ができるので、コンサルやネットビジネスに支障はありませんし、実際に会って面談というのも今後減ってくると思うし、単純に効率がいいです。私はその考えがあるので滅多に人と会いません。

また健康であるために朝からジムに行ってトレーニングしたりプールで泳いだりと健康のためにも運動をはじめました。

仕事をするにも健康でないと最高のパフォーマンスで仕事できませんし、旅行に行くのも健康でなければ楽しみも減ると思います。

なので私はお金・時間・精神・場所・肉体の全ての自由を手に入れることが大事だと考えております。

昔の自分はこの5つ全てが不自由でした。

しかも不自由を強いられているということに気づかずに。。。

この5つ全ての自由、いやいくつかの自由でもいいので、そのために行動できる人をもっともっと増やせればなと思います。

——————taku誕生物語終わり。———————-

takuの理念のおさらいとまとめ

私は元々ビジネスの才能があるわけでもなく

自分のやりたいことすら分からない

しかも飲み会や合コン、パチンコなどの娯楽で遊びまくることが

自由だと勘違いしていたゆとりの極みのような存在だったのですが、

真の自由を求め続けた結果、周りのエリート・教授達や親から反対されながらも違う道を歩み、今まで思考停止していた状態から自らの意志でビジネスを学び、仕組み化することでここまで来ることが出来ました。

自分で人生を考え、こういう風に生きたいと願い、それを達成するためにはどういう勉強が必要かということを考え、純粋に学び実践していくことが大事だと強く強く思います。

私はお金・時間・精神・場所・肉体の全ての自由を手に入れて感じたことがあります、

それは1つでも欠けていると真の幸福とは言えないということです。

お金があっても時間がなければ、ストレスから消費をしたりして本当は欲しくないものを買ってしまいお金を本当に使いたいことに使えないかもしれません。

また、精神的にも幸せではないかもしれません。というのもこの仕事が終わったら飲み会があって楽しみだという状態も仕事自体が我慢になっているからです。

さらに、お金があっても、例えば極端な話10億円あって足が麻痺して動かないのであれば、楽しさは半減すると思います。

この全てが揃った時、自分の人生をより良いものに変えていけれると信じていますし、見えてくる世界も変わってきます。

あなたはお金のことや人間関係からも解放され時間にも場所にも縛られない人生になればどんなことがしたいですか?

・漫画・ゲーム・ドラマや映画を思う存分見たい

・家族や自分の好きな友人や仲間達と平日にいつでもどこでも旅行に行ったり、昼から一緒にお酒を飲んだり遊んだり。

・英会話スクールに通ったり音楽を作曲して仲間と演奏したり沖縄の海でダイビングしたりetc 自分の好きなことや趣味に飽きるまで没頭したり。

・海外に長期滞在して新たな文化に触れて刺激を受けたり

・今まで我慢して買えなかったものを買ってみたり

・空いた時間で運動やスポーツをして以前より健康になったり

などあなたがやりたいことをやるために

真の自由を目指していきましょう。